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世界を暴く

二十歳の原点

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

書き手の高野悦子全共闘世代の立命の女学生で、色々あった末20歳で鉄道自殺する。死ぬ前半年の日記がこれで、70年代に出版されてベストセラーになった。多感な女子大生なんだなあ、というのが2009年か10年くらいに初めて読んだときから変わらない私の印象で、今回の読書によってもそれは覆されなかった。

表現としては面白い。解説ではなんか自然美賛美の詩句が詩的に褒められてるが、self controlの欠如という問題を描出した文芸としてこそ卓れていると思う(たぶん高野はそんなこと意図してないが)。この日記を読み出すと読者は、勉強しようと決意した翌日には酒に溺れ、その翌週にはデモ参加した足でバイト先の男に自意識過剰気味な妄念を寄せる高野の姿を見せつけられることになる。女子大生というブランドにまだまだ神通力があり、あるいは「女だてらにこんないろいろ考えてんのか」みたいな女性差別と裏腹な下駄履きも強かった時代なら、これは可愛いの一語で回収可能だったんだろうが、はっきり言っていま読むと真面目系クズ以外の何でもない。だから、それを読んでのわれわれの反応もうんざりという以外にないのだが、うんざりするとともに「ああ、いるよなあこういうやつ」という暗い愉しみも君は覚えたはずだ。そして、そういう落ち着きのないクズどもこそが、決まって社会の機構に蹴躓いて溺死してるのを思い起こしながら、俺だけは君らを反面教師にうまいことやってやるさと能面の裏の決意を新たにするわけだ。

何だっけ。文芸としての面白さとあまり関係ないところに来たが、ともかくも早寝早起きしてひと走りするに越したことはないよな。

あとは日記文学一般に関わることとして、たとえば次の記述は興味深い。

三、四月の頃は、本当に自分自身がわからなかった。しかし、四月下旬から学園闘争を政治闘争を始める中で、前よりは次第にわかるようになってきたと思う。今、私は強大な国家権力の前で、いかにしたらそれをぶっつぶすことができるのかと、もがいている状態だ。己れの闘争をどの位置に見出すべきかと(セクトのことをいっているのではない)そういう点、まだ己れ自身を発見していない。(五月二六日、178頁)

告白調の改心宣言である。高野は他の個所でもマニフェストの中身だけ置き換えて似たような書き方を繰り返して使う。

このブログの書き手としての私は、こういうレトロスペクティヴな話法一般に対して強い警戒感を抱いているわけである。現在のところは。こういう話法は自己のあやふやさというものを、認めるようでいて全然甘く見ていると考えるからだ。なるほど私だって数ヶ月前の自分といまの自分が同じだなどと思うことの方が少ない。少ないのだが、だからと言ってそれらを切断処理してしまっては、人格の完成ということなどおぼつかないし、なによりどうせすぐに繰り返す過ちに対して備える覚悟も忘れる。

(追記:書きそびれたので書いておくと、基本的にはつまらない本である。たとえば回想録を読むような仕方で読むとあまりにぺらぺらでがっかりする。しかし、つまらないがゆえの面白さというのもまたあるかもしれない、というのがいまの気分なわけである)