pathfinder

世界を暴く

動機がない

動機がない時代である。「エントリーシート 書き方」でググろうとすると真っ先に「志望動機」がサジェストされる。まあこれだけ豊かな社会でありながらギラギラと何かを渇望してる奴らばかりというのもそれはそれでヤバい気がするので、これはそんなに悪いことではないかもしれない。

だが物語作家にとってはまぎれもない凶兆である。普通に人間を描くと普通に動機がないので普通に何も起きない、そのような時代がやってきてしまった。それでは彼らは困るのだ。というのは何を描いても文字通りお話にならないからだ。

それで動機を捏造する。例えば巻き込まれ型主人公である。戦争とかを起こしてみて、戦わなければ生き残れないとか言いはじめる。世界の危機とかもいい。世界の危機をお前だけが救えるのならばお前は戦いに向けて動機づけられるだろうという寸法である。ついでに言うと戦争とか危機とかは物騒だから異世界にアウトソーシングしたりもする。この方法は郷愁を利用した動機を調達できるというオマケ的効果もあわせ持っててなかなか便利だ。最後にこれが一番強力なわけだが、異性の性的魅力を使うというのもある。ハクいチャンネーのためとなればぜひともあれこれしてみようとなりそうだ。

でもぶっちゃけそういうのは嘘である。大河ロマンと美少女とを揃えてもオタクは別に行動的にはならない。現にお前は美少女が目の前に現れてもナンパとかしないのだ。同じように、巨大ロボットとか現れてもどうせ大して乗りたくはならないのだ。

これが新世紀エヴァンゲリオンという思想である。新世紀エヴァンゲリオンという作品の傑作性は、部分的にではあるがしかし間違いなく、見てみたところで全然エヴァに乗りたくならないし全然ネルフに入りたくならないという点に由来している。美少女とかロマンとかは、別にちっとも甘くないのだ。甘くないからそれらはわれわれを特段動機づけもしない。

であるからして現実に帰れ、というのが新世紀エヴァンゲリオンの思想であるが、そのような思想はしかし誤読を運命づけられている。なるほど美少女やロボットがありさえすれば俺も動機づけられるのになあという甘ったれた欺瞞は暴かれた。だが暴露されたからといっていまさら現実に帰れるわけもないのだ。われわれは人生の決定的な重要期をひたすら魔法の鏡と向き合うことに費やしてきたのである。その鏡が壊れたからといって帰るべき現実などどこにもありはしない。だが幻想も既に破れた。われわれは失われた現実と壊れた幻想の狭間でどうやら迷子になってしまった。だとしたらわれわれは……幻想に幻想を重ねがけしてさらなる逃げを打っていくしかないではないか。これが新世紀エヴァンゲリオンという誤読された思想の意図せざるバックファイアである。

ここまでの話を動機という観点から再整理しよう。

まず出発点はというと、われわれの現実生が動機を欠いたものだということだった(そんなことないだろという人は既にブラウザバックしてるはずなのでいないこととする)。で、動機を欠いた主体というのを登場人物にとると物語は成立しないので困ったことになるのだった。なおここでは「作中人物の動機づけの構造は現実のわれわれのそれを反映する」というテーゼが暗黙裡に前提されており、かつこのテーゼはそれ自体結構怪しいものなのだが、その検討はしかるべき段階まで後回しにする。話を戻すと困ってしまった物語作者がひねり出す対応策の少なくとも一つは、主体の動機づけ構造は所与のものとして受け入れた上で、主体を取り巻く状況を魅力的なものに差し替えて(e.g. 美少女・ロボットetc. )動機を捏造するというものである。これはよく見られる対応であるが、新世紀エヴァンゲリオンという思想*1によって窮地に追い込まれることになる。この危機の構造は正確には次のようなものだ。「美少女やロボットに動機づけられるような主体の動機づけ構造は幻想である。現実の動機づけの構造はもっとずっと限られたかつ生々しいものであり、現実のわれわれが動機づけられるのは美少女やロボットによってではなく劣等感や承認欲求によってのみである」。すなわち、先に掲げた「作中人物の動機づけ構造は現実のわれわれのそれを反映する」テーゼを維持するならば、今や美少女やロボットによる動機捏造の道は塞がれることになる。代わって開けるのはつらい現実、つまり負の感情渦巻く世界の動機づけ構造を採用するという経路であるが、われわれはそもそもそこから逃れるためにアニメを見るのであるから、そんなものははじめからお断りなのである。

するとわれわれの手元にはどのような選択肢が残されるだろうか?

第一の方向は動機なしで成立する物語というものである。ラブコメであり日常系である。ラブコメの話をすると、俺は幼稚園児みてーな喧嘩を調停しながらついでにセックスする。以上。無論ラブコメ自体はいつの時代にもあるわけだが、喧嘩が幼稚園児レベルであることが今や決定的に重要となる。めぞん一刻とかはお呼びでないのだ。幼稚園児レベルの喧嘩であればこそ、俺が解決に向けて強く動機づけられずとも勝手に解消してたりするからである。俺の周りで女どもは勝手に喧嘩して勝手に仲直りせよ。これでもってわれわれは動機捏造の欺瞞性を回避しつつ覚めない夢に溺れ続けることができる。もっとも女と知り合いになる動機のみは必要とされるわけだが、なに、これに関しても同級生とか妹とか、回避する方法はいくらでもあるのだ。

だが幼稚園児の喧嘩とかあまりにどうでもよすぎる。もうちょいどうでもよくない方向はないものか。かくして第二の方向が定められる。俗に言う「中身のある」ものを探し求める道である。だがこのルートには既にして不穏な気配が感じられる。われわれは今や、現実から逃れるための夢の裡に、現実性の手触りを求めているのではないか? このままではいつまたエヴァンゲリオンのような爆発物をつかまされるか分かったものではない。

第二行路の探検者に課せられた至上命題は、だから、いかにすれば現実そのものに触ることなく、現実性の甘い蜜だけを抽出できるかということである。方策は色々あるが、一例を挙げれば方法としての百合である。方法としての、という限定をつけるのは、百合自体が目的であるようなガチ百合ではなく、エヴァンゲリオン的暴発を回避するための方便としての美少女動物園に話を限りたいがためである。これは非常に便利なプログラムだ。少女性というブラックボックスを神聖なる他者として措定するという、政治的に負担の少ない経路を通りながら、不都合な現実の切断処理と現実性・現実らしさの抽出とを果たすことができるのである。

いま少し補足する。まず、少女性というブラックボックスという論点であるが、これは、われわれ*2は少女たちがいかに動機づけられるかということを本質的に理解できない(とされている)ねという話である。この理解不能性はフェミニズムの論壇的勝利*3以後、われわれの社会の公式の教義である。「女とはそもそも……」語法が社会的に封じられるのだ。その思わぬ帰結が、少女たちの動機づけに関する機構が誰にも触れられぬブラックボックスと化するということである(これについてオタクはフェミニストたちに心から感謝すべきである)。この暗室を利用して物語作家は適当な動機を捏造する。それは上手く行けば「現実的」である。だがカッコ付きの現実性だ。それは現実そのものとしては受容されない。なぜかというに、少女というのはどこか別次元の天地に住まう、不思議な不思議な他者だからである。かくして美少女動物園的なヌルい百合等々様々なる方法により、「現実への反照を欠いた現実性詐取」が可能になる。この現実性が、思想としてのエヴァによって暴かれる欺瞞の一階上に居ることは言うまでもない。動機捏造の古典的な経路は事態の他者化と切断処理によって復活する*4。われわれの手にある第二の経路である。

さて、話を本筋に引き戻し第三の方向について書いておく。それは「作中人物の動機づけ構造は現実のわれわれのそれを反映する」テーゼを棄却する道だ。これは実際結構有望というか普通に本命である。例えば芸術的達成のために人を殺したり、友達を作るために友達を作るための部活に入るとかいうのは、よくて逸脱的、普通に考えれば非現実的なわけだが、堂々描いてしまえば案外説得力を持つものである。大体よく考えれば実在の人物だって結構変な心の構造を持っているのである。対英援助参戦の希望を予め断つためにせよ生存圏を獲得するためにせよ、ソ連を攻めるというのはよく分からない話だ。よく分からぬものが現にまかり通っているのだから、虚構世界の中でだってそういうのをまかり通せばいいのである。そういえば物語というのはそういうわけのわからなさを、説明口調で直示するのでなく出来事の羅列の裡にて暗に処理する技術だったかもしれない。

以上の見取り図の内、俺が近頃特に関心を寄せているのは第二の道だ。好意的な関心ではない。直截に言って欺瞞の匂いをそこに嗅ぎ取っている。

(続く)

*1:なお、ここまで俺は新世紀エヴァンゲリオン「という思想」という物言いをしてきたが、その意は無論、作品としてのエヴァが問題なのではなくて、エヴァへの反応に典型的に見られたようなフィクションへの態度が問題の核だということである。だから「いや、影響史的にはエヴァ以前にもビューティフルドリーマーが」とか、「むしろナデシコとかの方が」とかいう指摘はこの場合ありがたいが無意味である。さらに言えば「エヴァへの反応に典型的に見られたようなフィクションへの態度」などというものが本当に本論で言ったようなものだったかどうかというのは、本当は一人の社会学者のライフワークになるくらいの要検証事項なわけだが、もちろんこのブログではそんなものは独断的に無視していく(断言調で書くとはそういう意味である)。

*2:ここでは男性読者を想定している。女性読者においては「少女」を「少年」に換えて、読んで読めなくもないはずである。

*3:別に揶揄を意図しているわけではない。「女は産む機械」とか言うと大臣さえ辞めさせられるという、単なる事実確認を行っている。

*4:雑。見逃してくれ。