pathfinder

世界を暴く

幻影ヲ駆ケル太陽3話における主人公の自己正当化の正義と欺瞞

幻影ヲ駆ケル太陽というアニメが放送中である。大傑作とは言い難いと思うがところどころに見所はあって、なかなか憎めない作品だ。特に3話で主人公の自己正当化の問題を処理してみせた手際には少々ぎょっとさせられるところがあった。

f:id:blackburnfirebrand:20130721213139j:plain

この作品の3話というのは外形的には主人公が功利主義者の手先になる話である。1話で無意識裡に魔法少女として覚醒し2話で勧誘を受けた主人公の少女(上の画像のオレンジである)は3話であっさり功利主義者の組織に入る。この作品の鹿目まどかはさっさとキュウべえと契約してしまうのだ。

主人公たちの組織の使命はキュウべえのそれよりずっとストレートに功利主義的である。治安維持のための保安処分が彼女たちの仕事だ。

この世界には悪魔になってしまった元人間が少なからずいて、その悪魔が世に禍をもたらすものだから、それらを被害拡大前に殺してまわるというのが主人公たちなのだ。悪魔化した人間を元に戻す方法はないみたいだし、一度悪魔化した人間は人を殺さずにはいられなくなるっぽいので、功利主義者にとっての「正解」は先制処刑というものでしかありえないのだ。かなりぎょっとする設定であるが、無意味に露悪的ということもないのでまあよしとしよう(とはいえ4話以降、功利主義のテストという主題は引っ込んでしまい、話はどんどん無意味に悪趣味になっていくのだが……)。

さて興味深いのはその先である。本作の主人公は、以上のような筋道で功利主義的に正当化された組織の使命を、受け止めながらにして読み替えていく。

この主人公は、結局のところ悪魔狩りに加わるのだが、「公共の福祉のために殺す」という言い方の方は拒否するのだ。代わって持ち出される説明は「悪魔が自ら殺してくれと言っていたから殺す」、および「私以外の人間は悪魔の声を聞けないが、私だけは彼彼女らの声を聞けるから、この世に彼彼女らの生きた証を残すために他ならぬこの私が殺さねばならぬ*1」というものである。主人公は同じ行為を異なる正当化理由によって引き受けるのだ(無理やり明示すれば、功利性原理ではなくて自律尊重原則によって悪魔殺しを正当化しているとでも言えるだろうか)。

主人公のこの態度は美しくも危険な両義的な綱渡りである。ここには一面で、誤った原則*2を採用している集団を、集団内在的に改良・善導して行く方策の兆しを見て取れる。実際、このシリーズの7話までは、それぞれに異なった仕方で自らの戦いを正当化していた仲間たちを、主人公が説得していくというものとして読めなくもなさそうだ。行為の意味の読み替えを通しての他者の説得というプログラムは、例えばぶん殴って説教みたいな作劇に比して、なかなか希望のある方向なんじゃないかと思うわけだ。

だが他面、恐るべき欺瞞の足音もここにはまた感じられるんじゃないか。つまり、この主人公の在り方というのは、見方を変えれば「私は功利主義者じゃないですよと言い張る功利主義者」に他ならないんじゃないか。だとすればこれは滅茶苦茶悪質だ。というのも単なる功利主義者に対しては、アンチ功利主義者は功利主義のダメさを懇々と説くことで合理的説得を試みることができるわけだが、この手の人間に対してはその手がおよそ通じなくなってしまうと思われるからだ。コミュニケーションの不可能性を描くアニメならばそれもよかろうが、ローティーンの魔法少女が皆で戦うこのアニメでまで、そのような惨禍は見たくもないと俺は思う。

われわれは同じ行為を複数の異なった仕方で説明し、正当化することができる。ある男は金目当てで女を捨てた卑劣漢であると同時に、愛する女を捨て置いてでも理想を追った熱血漢であることができる。では、どの説明が最終的に採用されるべきものなのかと言えば……。

(付記。最初は前のエントリの予告通り、現実のわれわれの動機づけ構造と絡めて何か言おうと色々考えた気がしたが、手元の乏しいマテリアルからでは何を言ってもまじない以上のものにはならないので、もうさっぱり諦めてしまった。あと、恥ずかしいことだがこのエントリの読みはかなり筋悪な読みであるので、どうかアニメ作品評としては受け取らないでほしい)

(付記2。あとはまあ、書き損ねたが、「殺してくれって言ってたから殺します」はともかく、「憶えてられるのが私だけであるからには私の戦いの意味は殺した悪魔を記憶しとくことです」は普通に怖いという論点がある。この点については多分今後再登場する主人公の幼馴染にして第一犠牲者が色々突っついてくれると思うので、本編の展開を待ちたい)

*1:補説すると、この世界の悪魔たちは、討滅された後、魔法少女たち以外には忘れ去られてしまうと設定されている。だから友人関係にあるAとBとがいるとして、悪魔化したAが魔法少女に討滅されたとしたら、BはAのことを忘れてしまう。それはあんまり悲しいので、悪魔の声を聞くことができる主人公は、せめて私だけはAの言い分を記憶しておいてやろうとの決意を胸に、今日も悪魔を駆逐するのである。

*2:功利主義が誤った思想であるかどうかはともかくとして、幻影太陽という作品の作中価値基準において少なくとも推奨はされていないことは確かである。