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世界を暴く

死んだお前を懐かしむ者はいない

過去を懐かしむということがある。あるいは現在に過去を透かし見て懐かしむということがある。これは理性というよりは感情の問題で、わけもわからず懐かしいのだ。

なんで懐かしいか。まあ答えはないわけだが懐かしさが何の役に立ってるかってことはわかる。懐旧の感情はわれわれの判断を助けてくれる。

例えば街を歩いていて、どこか懐かしい居酒屋とわけわかんねー創作料理屋が並んでたとする。するとわれわれは前者に親しみを感じたりする。でそのまま前者に入る。

その結果としてよりウマいメシを食えたか食えなかったかはこの際どうでもいい。ここで重要なのは、ぐるなびで検索とかだるいことして時間と脳の活力とを浪費せずに、われわれが自らの意思を決し得たことである。懐古の情に身を任せてオートクルーズすることで、われわれは生のどうでもいい部分に関して無駄に思考を及ぼすことを避けることができる。しかも懐かしい物は大抵昔からあり、昔からある物はまあわりと安全なので、この手抜きは特に危険というわけでもない。

特に危険というわけではないが特に安全というわけでもない。なんか懐かしい感じがするので買ってみた壷が実は贋作ということだってよくあるわけだ。なのでわれわれは重大な決断については感情にすべてを預けたりはしない。受験や求職を前にしてわれわれは、何の情報収集も推理もせずに判断を下すことを少なくとも非合理的だと考える。これほど重大な事柄となると、少々の手間をかけてでも、より安全な方向を見極めたくなるからだ。そしてさらなる安全の追求ということについて懐古の情はわりと不利である。昔正しかった話が今は間違いだってことが普通にあるからだ。懐古厨という言葉があることからもお察しだ。

このように懐かしいという感情は便利な時もあれば不便な時もある。そしてさて、話は変わるがわれわれは居酒屋のみを懐かしむわけではない。例えば死んだ祖父母を懐かしむ。少し話が怪しくなってきた。

怪しいというのは時に次のような話を聞くからだ。わたしが祖父母を懐かしみ、そして父母も自らの祖父母を懐かしむからには、わが子もわが父母を懐かしみ、われはわが孫どもに懐かしまれるだろう。であるからにはわが人生は有意義であろう、云々。

もちろん問題の本丸は、懐古されることと意義の有無との連関が不明瞭かつ不審なことだ(われわれは意義なきものどもを懐古し得るのではないか?)。だがこの点については本稿ではこれ以上の追及をしない。簡単に答えを出せるような問題ではないからだ。というかそもそも、回答が可能な問いであるかも定かではない(俺は人生の意義という観念そのものが巨大な妄想ではないかと考える)。

今話題にしたいのはそうではなく次のことだ。わが孫がわれを懐かしむとは確かなことか? 俺には時々このことがとても訝しく思える。

そう思う理由は懐かしさという感情の弱点の方に関わる。要するにその感情は、というかこれはまあ感情一般がだが、意思決定を歪めることがあるわけだ。邪魔になることがあるわけだ。

それがどうしたと思うかもしれないが考えてもみてくれ、われわれは今日、かつての日々に比べてはるかに多くのことを決定している。着る服から職業から読む本や見るアニメまでわれわれは自ら選びとるのである。これは想像以上に面倒でだるくて、それでわれわれは感情任せの選択にまったく退行したり、鬱になったり死んだりする。で、このだるさはたぶん今後ますます過激になるのだ。

われわれの孫たちが鬱で死にまくったりしてないとする。するとどういうシナリオが書けるのかというと、たぶん彼彼女らは必要な感情を必要な時に手に入れられるよう薬物や電子機器を活用してるのだ。勉強前に比喩でなくやる気スイッチ押したりするのである。

そうなれば他人、ひいては先祖に対する態度も変わって来ざるを得ない。まあ孫たちの代だとぶっちゃけ現実味は薄いが、感情調整に慣れきったわれわれの遠い子孫は、墓参りや法要の時にだけ、思い出したように儀礼的に、われわれへの懐かしさを外挿してるかもしれない。

もちろん以上の話は荒唐無稽な妄想なのだが(認知科学の前線を閲するに、実際にはたぶん感情を取り去ると意思決定もできなくなるのだ)、それでも死んだお前を懐かしむ者はいないかもしれないという可能性は残る。で、この妄想が少なくとも可能だということは、人生の意義を子孫の思いに基礎づける戦略そのものに対する疑いをおそらく引き起こさずにはいない。

俺は思うのだが、人生の意義というのは、存在するとするならば(しないと思うが)、子孫が脳や生き方をちょっといじったくらいで歪んだり消えたりするほど安いものではないのではないか? ところが子孫の思いにわが生の意義を基礎づけるという戦略は、この大安売りの危険性を大胆にも引き受けてしまう。その大胆さに俺は驚くとともに、そんな安く儚い値札なら護る価値もなかろうと意地悪くも思う。