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世界を暴く

なぜか高潔そうに見える二股男

浮気とか不倫というと理性vs情念の問題みたいな気がする。悪いと分かってるんだけど欲望には勝てなくてやってしまう、というように。

でもその像は間違ってないにしても全面的に正しいわけじゃないかもしれない。特に、高潔な人物の傾国の悲恋みたいなのを描くのには向いてなさそうだ。「俺はセルフコントロールできないだめなやつだ~」みたいな話じゃなくて、もっと決断的かつ主体的にダメな愛に身をささげるって構図が必要とされてる。

言い換えれば理性vs理性で対立を張ったほうがいい場合がある。冷静な俺とバカな俺がいるんじゃなくて、冷静な俺が相反する二つの目標の間で引き裂かれてるとするのだ。二つの目標とは、共同体の善vs個人の善でもいいし、妻の利害vs愛人の利害でもいい。主人公は今やダメな人間だから不貞をはたらくという言説を脱し、二者択一の転轍点において一方の利得を自己の責任にて決断的に葬り去った崇高なクズへと成り変わる。

例えばこれは浮気ものとはちょっと違うが、君が望む永遠の主人公が帯びてる一種倫理的なトーンは以上の機構で説明できる。彼、鳴海孝之は、客観的には優柔不断なヘタレなわけだが、しかしその優柔不断さというのが二ヒロインそれぞれに対する返報義務を片方しか履行できないというとこから来てるので、少なくともまじめな人物として理解することがぎりぎり可能なのだ。両立不能な二つの目標の間で引き裂かれているからには、彼はまじめな人物でなければならない。まあ君望の場合、人生訓ぶつために主人公の内面性を深化させるって企みが先にあって、それに引きずられて遙と水月の重みが過剰に増されてる感あるのはかなり倒錯的だが(とはいえ倒錯的すなわち悪い、ということでもない)。

まとめ直すと、不貞の概念を理性と情念の対決という枠でなく理性の引き裂かれって枠で捉え直すことにより、不貞の当事者をダメ人間としてでなくまじめで高潔な人間として描くという経路が開かれる。言ってしまえば当たり前の話なようで恥ずかしいが、ホワルバ2のアニメなども始まったことであるし、何か考える上での踏み台的に読んでもらえれば幸いだ。