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アダム・スミスのハーレム論

法学講義でハーレムについて語るスミス

アダム・スミス 法学講義 1762~1763

アダム・スミス 法学講義 1762~1763

色々あってアダム・スミスの法学講義を読んでいる。かなり細かい話ばかりで正直つらい。とはいえ細かいってことは歴史トリビア的なものの種でもあるわけで、微妙なへぇ~を拾ってくことをせめてもの慰めとして読んでいる。

細かい話ってのは例えば次のようなものである:

私はいま、多くの点で前に述べたのとは非常に異なる、別の種類の結婚の考察に進むであろう。すなわち、一人の男がかなりの数の妻をもつことを許されている場合である。(155*1

ハーレムについて18世紀スコットランド人が持ってた見解が読めるわけである。それ何の意味あるんだ……みたいな思いが去来してきてまあつらいわけだが、他面ちょっとわくわくできなくなくもない。かもしれない。

ハーレムは自然に反してはいないけど不合理なのでダメ

さて、ハーレムに対するスミスの基本的立場は次のようなものだ:

多妻制の慣行には、法律がそれを許しているところでは何も不正義はないものの、それでもそれは多くの不都合を生むのである。(155-56)

ハーレムは自然権に差し障るようなところはないんだけども、合理的でない、ので望ましくない、ということである。この辺でスリリングなのは、むしろスミスによる諸権利正当化の方法かもしれない。すなわち、時代遡ってロックなら正当な権利すなわち自然権と言い、時代下ってベンサムなら正当な権利すなわち合理的な権利と言うであろうところ、そのアイノコみたいな論証(「この権利は、自然には反してないけど不合理なのでオススメしない」)を繰り出してくるからだ。

スミスは政治思想史的には「個人の権利保護は自然に適うから大事」って方向から「個人の権利保護するのはそれすると結局みんなハッピーになれるって意味で大事」って方向へとリベラリズムの基礎を移し換えてった第一歩として重要とか聞くので、その辺を念頭に置きつつ読むと多分オイシイんだろう。

ハーレムどの辺が不合理か

さておき、ハーレム。どの辺が不都合なのか。スミスが指摘するのは次のような点:

  • 妻たちが嫉妬しあってヤバい(156)
  • 相続が安定しなくてヤバい(156)
  • 高い金払って宦官雇いまくるか、ハーレム秩序が破滅するかの二者択一でキツい(156-57)
  • 妻たちはライバルと宦官だらけの後宮に押し込められて不幸(157)
  • 男の側も妻一人ひとりと真の愛育むことできねーし、子供の顔なんかも覚えられねーみたいなことになるし、常に寝取られを警戒しなくちゃいけなくて他の家長と真に友誼を交わすこともできない。したがって不幸(157)
  • 家長同士が敵対しあってて中間集団が成立しないことから、国家は専制的になるしかなく、そしてそれは不合理(158)

なるほど。ハーレムもつらいぜ。

vsモンテスキュー

と、ここまではわりと常識的な話だったが、次のはなかなか奇抜でそれゆえトリビア的に面白い。ハーレムにも利点があるぜと説くモンテスキューに対する駁論。スミスというより論駁対象のモンテスキューがかなりキてる:

確かにモンテスキュウによって、〈  〉を典拠として、多妻制の利点が次のように述べられている。すなわち、ジャワ島の首都であるバンタムでは、男一人に対して女一〇人が生まれるのであり、あるオランダ人著者はわれわれに、ギニア海岸では女性五〇対男性一であると語っている。(159)

そりゃハーレムにするしかないです笑。スミスは半分呆れ顔で:

自然法則が他の国々で非常に大きく違うということはなさそうだし、確かな根拠がないからそれは信じるべきではない。(159)

と応答。

貴族すばらしく、したがって世襲に不向きなハーレムはダメ

その後似たようなトンデモ論への駁論が少々続き、最後の論点へ移行する。ハーレムのさらなる不合理性の指摘である。すなわち、ハーレムは世襲貴族の存在と両立しないのでダメらしい:

多妻制は、その臣民の自由にとって有害である。それはそれ自体が引き起こす嫉妬で諸家長間のすべての連合と友好を妨げることによって有害であるだけでなく、さらにまた、世襲貴族の存在を絶対的に阻止することによっても有害である。(162)

ここは現代的観点からするとかなり違和感のある箇所だと思う。いや、多妻制が世襲貴族と相性悪いのは分かる。ハーレムで子だくさんだと世襲とかモメまくって難しい。分からないのはそうでなく、世襲貴族がいなくなると、臣民の自由が阻害されるって書かれてる点だ。逆じゃないのか?

いや、スミスの意見は間違いなく世襲貴族バンザイ。ロジックは次の通り:

そこでわれわれは、国民の自由を主として支えるのは貴族であることを知るだろう。若干の人々が何らかのやり方でその他の人々から区別されていることが絶対に必要であって、彼らは国王の抑圧に抵抗することができ、あるいは国民が外来の侵略者によって抑圧される危険があるとき、彼らの先頭に立つことができるのである。(162)

王権に抵抗できる軍事力、国王軍が敗れた時なおも国家を防衛できる軍事力の担い手として有望なのは世襲貴族しかいない→したがって世襲貴族が国民の自由のために必要だ、ということらしい。徴兵制の国民軍プラスナショナリズムというシステムが現れる以前には常識的だった考えなのかもしれない。なるほどと思う。

結び

だいたい以上のような論拠からスミスはハーレムに批判的だ。われわれハーレムメーカーとしては「ハーレムは友情を阻害するよ」とかが特につらいところである。実際織斑一夏なんかは主観的幸福度かなり低そうだし、この意見には説得力がある。

で俺は思うんだが、やっぱ次々新しいネトゲはじめてくキリトさん方式にこそ光明はあるんじゃないかな(適当)

*1:引用文末尾のカッコ書きの数字は、Amazonリンク張った名古屋大出版会の『法学講義』のページ数。