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世界を暴く

革命機ヴァルヴレイヴ#15 カルルスタインへの帰還

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結構忙しい話だった。特に重要な点は三つくらい。

エルエルフの過去

第一にはエルエルフという裏主人公の過去設定がまた少し明らかになったこと。なんか月姫の七夜の里みたいなとこで(というとアレだからもう少し偏差値高そうな例えをすると、イスマーイール派の暗殺者の里みたいなとこで)彼は育ったらしいのである。「Töten, nicht getötet(殺せ! 殺されるな!)」という物騒な標語を掲げるその寒村で、仲間同士での蹴落とし合いというスパルタ的というか壷毒的な教育を受けて育ったということが、彼の冷徹なリアリズムの背景をなしていたわけである。

ちなみにアードライ他の四人とはこの頃からつるんでたっぽい描写もあった。この国では王子様もスパルタ式教練の例外ではないのか……。

アキラとサキの絡み

要点その二はアキラとサキとの関係に微妙な変化の兆しが見えた点。

アキラは今のところショーコ(と、一応マリエ)以外には友達がおらず、その不安定さの解消ってのが人物的ドラマの焦点になってる子なわけである。で、サキというのは、クール系の美人でスタイルもいいので、他人に配慮するというよりは配慮させる型の人物だ*1。そしてアキラに戻れば、彼女はイジメのトラウマ持ちプラスそもそも発達障害気味なので、当然他者への配慮なんてできない。したがってこれまでのとこ、アキラとサキの関係はかなりぎくしゃくしたものとなっていた。

だけどもアキラと共に不死身になり、ヴァルヴレイヴのパイロットを務めるのは、友人ショーコではなくサキの方なのだ。どこかの時点でアキラとサキの関係は調整されなきゃいけない。

そして、よく考えればヴァルヴレイヴに出てくる女性たちの中でアキラの境遇を一番理解してやれるのは実はサキのはずである。世界から愛されず、味方であるべき家族からも拒絶されるという孤独感を知っている人間は、まあマリエにはよく分からない点があるのだが、主要女性陣ではアキラの他にサキだけだ。サキだけがアキラのことを分かってやれるのである。ショーコとか、なんだよ、総理大臣の娘って。それで共感って、ふざけんな。お前は、いくら性格よくても、存在レベルで、絶対的敵だろ。……失礼取り乱した。

というわけでアキラとサキの関係がどうなるか? ってのはシリーズの今後を占う上でも結構気になるとこなわけである。そしてこの15話ではその点に関してちょい動きがあった。アキラとサキ(とエルエルフ)のチームが敵陣に潜入、って展開になるのだ。素晴らしい。よく考えれば12話くらいからずっとアキラちゃんのターンが続いてることになるけど、これはいい偏りだと思う。山田とかオタメガ君とか、そういうもう掘り下げの余地少なめなザコキャラに儀礼的に話数割くよりよほどいい。

さて、二人で潜入した結果の関係進展はどのようなものだっただろうか。結果、アキラはケガしたサキに勇気振り絞ってハンカチ渡せたし、サキの方でも敵を目の前にしてブルってるアキラをちゃんと励ますなんてことできるようになったというところまでが今回である。こう書くと何でもないような感じするけど、本当、アキラのチック描写とか吃音描写がいちいち真に迫っているので、これだけでなかなかちょっとした話になっちゃってるところがある。いい意味で。

マリエの過去

さて、話を本筋に戻すと、このエピソードの要点はたぶんもう一つある。それがマリエの過去、っていうかマリエとヴァルヴレイヴ壱号機のOSとの関係。これに関してはかなり重要そうな情報が今回明らかになったし、次回さらに明らかになる。ぶっちゃけまだよく分からないので詳論は避けるけど、ちょっとこれはダメ陰謀のダメ設定って感じが個人的にはしてしまうかな。

エルエルフの過去とマリエの過去はつまんないと思う

以上のような点が特に重要だった15話だけど、ではそれらはどう評価できるか。これについてはもう書いたようなもんだけど、第一・第三の話には俺はあまり感心できなかった。この作品、やっぱり世界設定はかなり魅力的でない気がしてしまう。画造りはフューチャリスティックなのに、「社会」の層の薄っぺらさが18世紀くらいのレベルでずっこけてしまうわけだ。

アキラちゃんは面白い

となると自然と関心は人間関係論と実存の問題へ引き絞られる。だから断然以上挙げた中では第二のポイントが面白い。というかアキラちゃんから目が離せない。こういういかにもダメな人間をどう処遇するかって問題は間違いなく今後10年20年のフィクションの中核的課題だけど、アキラちゃんほどこの問題の所在を正確に捉えてる人物はなかなかいないと思う。

例えば『はがない』の三日月夜空なんかも性格悪いという点においてかなりクリティカルな人物造形なわけだが、これは実のところ問題の一面しか突いてないと思う。というのは、冴えないダメな使えない人間という印象の構成要素としては、性格と並んで容姿というか立ち居振る舞いが決定的に重要だからだ。あなたの身の回りの使えねーヤツ一人思い浮かべてみてください。性格もアレかもだけど、何より顔色悪くてシャキっとしてなくて声通らなくて受け答えも要領を得ない、そんな感じのヤツなはずです。冴えなさには性格だけじゃなく、というかたぶんそれ以上に、身体技法とか生活習慣とかのごくごくフィジカルな面が関わってる。そして既に書いたように、アキラちゃんのチック描写と吃音描写の真に迫り方はかなり凄い。ヴァルヴレイヴは、というかアキラちゃんは、かなりうまい具合にアレな人間に関する問題を捉えてる、と思う。

で、そういう人間が、絶対数として増えたかどうかは確言を避けるけど、産業構造の変化とかで以前より目につくようになってきてる……という俗流社会批評がある。これはあくまで俗流だから政策的介入の対象ではないわけだけど(まあ現実には、教育現場への心理職の大量投入という政策が地滑り的に実行されてきてるわけだが)、でも、実際問題つらいですよ。俺もたいがい使えない側の人間だが、身を切るようなせつなさがあるわけです。そしてたぶん、そういう人間ほどアニメを見てマンガを買いラノベを読んでる。だからそういう人間の、公的には取り扱いづらいそういうつらさをどう治療するかってことは、断言するけど、今後10年20年の若者文化の無視できない一テーマになってくる。繰り返すとヴァルヴレイヴはその点をうまく拾ってて、それゆえ評価に値する。

で、そういう事情を捉えた問題設定が鋭くクリティカルになされてるとした上で、次の問題は、ヴァルヴレイヴの回答はどう評価できるのかということだ。これはまあ完結してないシリーズなので答えようがないとしか言えない部分も大きいが、しかしヴァルヴレイヴ、俺の見るところ、これまたなかなかいい感じに話を進めてる。

最初この作品はアキラちゃんのダメさの処遇について安直な答えに飛びつくかに見えた。つまり、コミュ障のゴミがいるなら、めっちゃ行動力あるリア充とくっつけてやればいいという回答を提出するかに見えた。指南ショーコのことである。彼女との友情でアキラちゃんが真人間に戻る、みたいになるかというところがあった。

でもこれは嘘だよね。ダメ人間に聖人宛がっても、ダメ人間は更生するんじゃなく聖人に依存するだけだよね。それは悪しき対幻想で偽りの解決だ。

ヴァルヴレイヴはこの解決図式を何段階か踏んで崩していった。まず、ショーコは実際には聖人ではなく結構弱者の悩みを解さぬ貴族だと示した。その上で、ショーコとの一端の離別を受け入れてでも戦いの責務を受け入れるという決断をアキラに取らせ、自尊感情再建の核を植えつけた。また先の14話では、友人関係も大事だけど家族関係こじらせたままではやっぱダメだねという論点も消化した。本当に丁寧にこのキャラについては話を進めていると思う。

というわけで結論を下すと、俺はアキラちゃんを巡って展開される洞察に関しては非常に高い点をヴァルヴレイヴに対し付けている。ただしこれは留保付き。というのは今回、15話アバンで、未来の兄サトミと思われる人物が、やはり未来のアキラと思われる人物のことを「教母さま」と呼んでいる場面があったからだ。ダメでアレな人物はいかに生くべきか、という問いに対する答えが最終的にマザーテレサか教皇かになれってものなら、それはちょっとダメじゃねぇの? ってのが俺の観察だ。まあこの点に関してはまだ確定情報が少なすぎるから何とも言えない。

当ブログはこれからも革命機ヴァルヴレイヴと連坊小路アキラちゃんを応援していきます。

暫定的あとがき

とりあえず感想は以上。流木野サキ言行録は後日補う。

*1:余計な誤解を避けるために一応書いておく。俺はここで「クール系の美人は他人に配慮するというよりは他人に配慮させるような性格してる」って書いたが、これは「美人を見たらキツい女と思え」ということを書いてるのではなくて、「性格キツい人物を描く際に、クール系の美人という記号を使うと納得感がある」ということを書いているのである。まあ後者は前者を結局は含意するし、したがって差別的ステレオタイプの再生産に最終的には寄与してしまうわけではあるが、第一義にはフィクション論として言っていることなのであるからあんまり糾弾を寄せられてもやはり困る。だって現にそういう定型あるではないか。糾弾の矛先はそっちに向けてくれ。