pathfinder

世界を暴く

リチャード三世って落ち着きないよね

リチャード王 さあ、天幕を張れ、このボズワースの野に。サレー卿、何をふさいでいるのだ?
サレー 心は見掛けの十倍も軽うございます。
リチャード王 ノーフォーク卿──
ノーフォーク は、こちらに。
リチャード王 ノーフォーク、いよいよひどい目にあうのか、ええ? そう思わないか?
ノーフォーク それは、敵方も同じこと。
リチャード王 おい、天幕を張れ! 今夜はここに野営する──あすはどこになるのか? まあ、そんなことはどうでもよい。誰か知らぬか、叛軍の兵力はどのくらいだ?
ノーフォーク せいぜい六、七千でございましょう。
リチャード王 なんだ、わが方はその三倍もある、それに王の名こそ千鈞の重み、敵にはそれがない。さあ、天幕を張れ! うむ、地形を調べておこう、誰かそれに通じているものを呼んで来てくれ。今のうちに訓練を怠るなよ、ぐずぐずしてはおられぬ、あすは、思いきり働かねばならぬぞ。(一同、地形の偵察に出かける。兵士たちが天幕を張る)


シェイクスピア『リチャード三世』第五幕第三場、福田恒存訳)

忙しいので手短に。

何でもない一場面だけど、リチャード三世(元グロスター公リチャード)、落ち着きなさすぎるだろ。かわいいなあヴァルヴレイヴに出てこいよ。

リチャードというのは有能なのか無能なのかよく分からない人物だ。出たとこ勝負の求婚を成功させたり、電撃的にロンドンを掌握したりして国王になるってとこ見ると普通にキレ者である。にもかかわらず国王になってからの施政は描かれ方的には完全に失政で、それが元で最後は敗死する。

この二面性の説明としてよく持ち出されるのが、「王座を射止めて目標を見失ったリチャードは、立ち止まったことで罪の意識に苛まれるようになり、力を失っていった」みたいな論である。これは基本的にまったく正しいと思うのだが、しかし細かいところで疑問を残す。というのも、罪の意識に苛まれてるはずの斜陽のリチャードにあっても、精彩をまだまだ欠いてない行動ってのが結構見られるからである。エリザベスを口説くとことかはめっちゃ口が回ってるし、敗れるとはいえボズワースでも作戦指導は的確である。かつてキレキレだったリチャードが王になってダメになったという単純な割り切りはできないのだ。

そこで、補助的な説明として、リチャードの落ち着きのなさに着目しとくのがいいと思うのである。彼は元々落ち着きがなくて、瞬発力を要求される戦や舌戦はうまくやってのけるのだが、腰を据えて取り組む必要のある国政には向いてなかったと考えるわけだ。そう考えることで、リチャードという人物の成功と挫折がよく理解できるようになると思うのだが、どうか。

当ブログはこれからもシェイクスピアの史劇と連坊小路アキラちゃんを応援していきます。

あ、アキラちゃんは落ち着きのなさと瞬間最大行動力のヤバさとがうまく結び付いてて面白いキャラだと思います。悪党ではないですが、見習えるところではグロスター公リチャードを手本に仰いでほしいですね。