pathfinder

世界を暴く

自意識の球体

メタい話をするとこのブログはつまんなくなったよね。一貫した視座というものを失って、俺という一個の人間の脊髄反射的な情動が開陳される場に成り果てている。で現実の俺というのはこれはもう果てしなくみじめな人間なわけだから、それをそのまま出せばつまらなくなるのは道理だよね。

なんでこんなことになったかというと、要するに文体を見失ったのがいけないわけだ。元々このブログは合理主義的アジテーションを非合理的に絶叫するfirebrandという人格に書かせていたんだけど、俺は根がポストモダニストだからね、そういうの飽きてやめちゃったわけ。飽きるだけならいいが、文体なんて一度手放せばそれっきりだよ。俺の炬火は永久に失われました。

というわけでここ二ヶ月の俺はスタイルを求めて悪戦苦闘してました。例えばライフハックブログっぽくしようと考えたりもした。でもよく考えたら俺は生活が壊滅的に下手だからこれは難しい。あるいはアニメブログに舵を切ろうともした。これは自分でもいい方向だと思ってるけど、何より時間を食うのが難点だよね。俺には読まなきゃいけない本がけっこうたくさんあるので、あまりアニメとかまじめに見てられないわけだ。じゃあ書評ブログというのはどうか、ってのも考えたけど、俺の場合これやると本の読み方が覿面に雑になるんだよね。それは生活に差し支えるから困る。ではどうしよう。答えなく俺は彷徨い続けるですよ。

しかし時は流れる。俺は忘却の中に殺されるをよしとしないから、弥縫策を講じていくしかないわけです。書く中でスタイルをでっち上げていくしかない。逆にやたらと書いたりもした。毎日書けば自然にスタイルも生えてくるだろうと思ってのことだ。まあ実際やってみたらそんなこともなかった。

それらの挙句に追い詰められたのがこんな記事だよ。このブログは、知ってるかな、元々「自分以外のことについて書きます」と宣言してはじめたものなんだぜ。俺はみじめな人間だからね、自分のことについては饒舌になってしまう。現にもうこんなに喋った。それを禁制としていた理想のここは王国だったわけだが、合理主義の炬火は死にました。俺は今俺のことばかり書けてしまいます。詩人を絶滅させ、言語を生産に奉仕させようと志したfirebrandの、ざまあみろこれがなれの果てだ。

というわけで俺は自己の敗北を認めるわけだが、だからといって消え去りはしてやらない。この戦場では最後まで立ってた人間が勝利者になるんだからな。だから明日も平気な顔してヴァルヴレイヴについて俺は書くだろう。無残な記事を書くだろう。しかしまあ、忘れてくれるな、ここまで手の内晒したからには俺は復讐の第二幕を準備中だよ。初代主人公は死んだけど、次こそは確固たる個性を打ち立ててやる。そう決意しているわけだ。俺は道化じゃない。