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世界を暴く

ロレンスの黙示録論

黙示録論 (ちくま学芸文庫)

黙示録論 (ちくま学芸文庫)

まどマギ新編に関係あったっけな? とか思って引っぱりだしてみたが、あまり使ってなさそうだ。まあしかし虚淵は読んでるだろう。まどマギというのは虚淵がほとんど一人で書いた脚本に新房他が後から色を付けてる作品なので(ソースはユリイカ)、元ネタ探しというのが特に有用なわけである。耳にした中だとベルリオーズ幻想交響曲が叛逆の物語の元ネタってのはナルホド感高かった。

ロレンスの主張は簡明に言おうと思えばどこまでも約められる。基底にあるのは、個人主義的・貴族主義的・愛・優しさの情念定型と、集団主義的・民主主義的(畜群的、とでも言った方が分かりやすいか)・卑屈さおよびその裏返しの自尊の情念定型とが人類史を通じてせめぎ合っているという認識だ。預言者のユダヤ教・イエスのキリスト教が前者に振り分けられるのに対し、黙示文学のユダヤ教やパトモスのヨハネの黙示録は後者だとされる。内面的完成や魂の救済ではなくて、迫害者への復讐としかる後の地上的栄光という歪んだ欲望ばかり叫喚する黙示録の調子が証拠に挙がる。弱者の劣等複合が観念的な手段による復讐として結晶したのが大バビロンの破壊を希うヨハネの黙示録だってことだ。

以上を要するにニーチェ主義と言って済ませてよさそうな部分が大なわけである。加えてなお一点指摘すれば、ロレンスには全体性・コスモス賛美という意味での異教的要素が付け加わっていることが注目に値するかもしれない。例えば彼は、人はユニヴァースとの合一を常に希求してるとか言う。人は集団でしか生きられず、集団あるところ必ず権力が生まれ、そしてその権力を貴族が独占せねば集団は頽廃するのだが、しかし人はいつだって権力を廃絶して宇宙と合一するという夢を忘れられないのだ。その夢の反転した悪夢が黙示録的な卑屈な情念なのだから人間というのは哀れなものだ。

弱者は卑屈な笑みでもって気高き貴族の足を縛る。そして世にそのような呪縛は絶えぬ。われらは宇宙的統一から疎外された存在だから。だから1930年代のわれらは民主主義とファシズムコミュニズムという卑屈な卑屈な卑屈な体制に喝采を送ってしまうし、アポカリプスはミレニアムにミレニアムを超えて読み継がれる。

おおよそ以上がロレンスの認識であるように思われる。思ったのはバタイユかよとかいうことで、つまりは大風呂敷系な文明批評とかは読むに堪えない(30年代の知識人が書くものはだいたいそうだが)。にもかかわらず脅迫調の説得はわれわれを時々は首肯させる。結局われわれにしても、黙示録を読み継いできた貧民の精神を分かち持ってるだろという告発に、内心何かを言い当てられた感じを受けるわけだ。

とりあえず面白かったですよ。福田恒存の簡潔ながら充実の解説読んでピンときたら買って損なし。