pathfinder

世界を暴く

2014年1月

が終わった。時が経つのがはやい。今年はこのブログの運用も少し変えていこうと思うので、こういう記事を書いたりもする。

エンバーミング

エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN- 6 (ジャンプコミックス)

エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN- 6 (ジャンプコミックス)

るろ剣和月の後期19世紀欧州フランケンシュタインもの。現在7巻まで出てる。人造人間を破壊する人造人間が主人公。なんだが、ただでさえしょぼい怨恨の種を5巻までで使い果たしてしまって、この主人公どんどん影が薄くなっている。じゃあつまらないかっていうとそうでもなく、バックアップ役のやさぐれ女医とか、幼馴染の婚約者(享年13)を生き返らせるためにそいつの死体からつくった人造人間を連れまわすクール系坊ちゃんとかが、わりとメークドラマしてくれてる。アド貼った6巻の表紙に出てる金髪の方がいま言ったやさぐれ女医なんだが、紫のシャツとか着こんで完全にヤバい感じのこの女性も、かつては隣の赤い男と愛をささやきあう純情乙女だったりしたのです。まあいろいろあって男は電撃喰らい、エンバーミングされ、記憶を失って人造人間となり、女と潜在的敵対関係に入ってるんですが(だからこういう表紙になるんですね)。悲しい話です。……とか、そういう話をサブキャラから膨らませてて、けっこう読ませる。

まあ、ヒロインがいい。女医もそうだが、ロリ系よりねーちゃん系が全体見ても充実してて、それがいいと思う。意志の強そうな目が特に好き。ヒロインたちのドラマは安直な上にワンパでさえあるんだけど、わりとどんどんメインの女をすげ替えてくスタイルなのであまり気にならない。テンポいいのはいいことだ。

19世紀度は微妙。るろ剣明治剣客浪漫譚であるのと同程度にはパクスブリタニカマンガかもしれない。つまり、随所に出てくる小ネタ除けばあんまり歴史モノ感はない。なんかマシンピストルに弾帯で給弾して電撃効果付与した弾連射したりするやつとかいる。すげぇ。あ、でも文芸協力の人が書いてる単行本オマケの文章はそこそこ19世紀な感じ。

下品なのかケレン味あふれてるのか、ギリギリなところも多いデザインを受け入れられるなら楽しく読めると思う。

ゼロ・グラビティ


映画『ゼロ・グラビティ』予告1【HD】 2013年12月13日公開 - YouTube

宇宙で事故って遭難する。それだけ。でも面白いからすごい。慣性の法則と、あらゆるものの希少さのおかげで、全編にわたって緊張感が半端ない。それはないだろwwwって感じの驚かせ方もないではないけど(音で驚かせるのが何回かあるが、1ヶ所特にずるいのがある)、十分許容範囲内。

脚本はシンプルだけど結構レベル高いと思う。主人公はくたびれた女であり、したがってハリウッド力学から言えばくたびれたまま野垂れ死ぬわけにはいかず、助かるに決まってるわけだが、にもかかわらず「あれ、これ脱出可能性ゼロじゃね。。。?」って切迫感がちゃんとあるのがよい。途中、無駄にも思える煽りイベントが入ってちょっと萎えかけたんだけど、そのイベントで拾ったアイテム、あとでしっかり活かされてて、早合点ごめんってなった。

なに書いてもネタバレになる感があるのでこれ以上はなにも言えない。とにかく宇宙旅行に行きたくなくなる1本。

カルナップによる信念文の分析

カルナップは信念文「ナオミは、地球は丸いということを信じている」を「ナオミは、『地球は丸い』という分を肯定する(傾向にある)」ということを述べているものとして分析する。信念文「SはPを信じている」がTとなるのは、SがPという文を肯定するような心的状態にある時であり、かつその時に限る。ポイントは、信念文の真偽を、世界の側の事実とかでなく、心的状態によって定義してる点だ。

なんでそんな風に考えるか? 信念に関して見られる外延性の破れをうまいこと回避して、外延主義で頑張るためである。信念に関する外延性の破れとは次のようなものだ:

  • 1. ナオミは、地球は丸いということを信じている。
  • 2. ナオミは、太陽系第三惑星は丸いということを信じている。

地球も太陽系第三惑星も外延的には同一なので、タルスキ風の外延主義的な真理概念を採用するなら1.と2.はつねに真理値を同じくするはずである。だが直観的に言って1.がTだが2.がFということは十分ありそうに思われる。信念に関して外延性は破れている、とした方が健全そうだ。

じゃあ真理理論を作りなおさなきゃダメなのか? それはつらいのでもう少し頑張りたいというモチベーションが哲学者をしてカルナップ的な方向に向かわせる。再び彼の提案に戻ろう。

カルナップの分析によれば、先の1.および2.は、それぞれ実は次のようなことを意味しているのだった:

  • 1´. ナオミは、「地球は丸い」という文を肯定する傾向にある。
  • 2´. ナオミは、「太陽系第三惑星は丸い」という文を肯定する傾向にある。

今度は、地球も太陽系第三惑星も外延的には同一だという常識を護りつつも、1´.がTでありながら2´.がFであるということが可能である。1´.も2´.も、ナオミの心的状態と日本語の文との関係について述べた文だからだ。地球と太陽系第三惑星に関する事実がどうであれ、そのことは以上の信念文の真理値には直接影響を与えない。かくして真理理論をいじらないままで、外延性の破れがうまく修繕された。

だが、このカルナップ流の分析を受け入れる者は、次のような文をどう取り扱えばいいだろう?

  • 3. ナオミは、「地球は丸い」という文を肯定する傾向にある。
  • 4. ナオミは、"the earth is round" という文を肯定する傾向にある。

3.がTで4.がFというのは十分ありそうなことだ。だがそれはまずい。大元の、「ナオミは、地球は丸いということを信じている」という信念文(1.)にまで立ち戻ろう。そこで述べられているのは、明らかに、ナオミは日本語文「地球は丸い」を信じてる、ということでなく、ナオミは命題〈地球は丸い〉を信じている、ということなはずだ。われわれは「ナオミは、〈地球は丸い〉ということを信じている」という言明と分析的に等価な言明を作りたかったのである。で、見た通り3.も4.も1.の分析としては適切でない。つまり、1´は1.の分析として適切ではない。とすると、1.を1´.として分析することによって外延主義的な真理理論を防護したわれわれのマニューバは破綻してることになる。

じゃあどうすりゃいい? 以下省略するが、要するに哲学者は、内包性についてよくよく考えろよなってことだ。

ケルゼン

二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス)

二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス)

法哲学の中で、「法とは何か」を問う法概念論は、正義論や法学方法論と並ぶ重要分野なわけだが、その20世紀における展開を簡潔にまとめてるのがこの中山本。簡潔すぎて一発ではなかなか消化できないけど、逆に言えば読むたび勉強になる。

さて、ケルゼン。彼によれば、法規範は強制秩序であるらしい。すなわち、ケルゼンにあっては

  • 「ポイ捨てしたら罰金バッキンガムな」

みたいな法的言明は、実のところは

  • 「もしS1がポイ捨てしたならば、公務員S2は制裁【罰金バッキンガム】をS1に対し適用すべし」

という法的当為言明なのだ、ということになる。すべての法規範は、第一義的には、強制・サンクションの発動を公務員に対して命じるような当為言明なのである。そのような意味で法規範は強制秩序であるとされる。

でも、普通に考えて一般人だって、遵法しなきゃなあみたいなこと思ってるはずだ。その辺はどう説明するか。これについては、制裁回避のために先回りして遵法するようになる、との説明がケルゼンによってはなされる。一般市民の遵法義務の「べき」性は、第一次的な法規範が公務員に対して成立して後、はじめて可能となるような第二次的な規範にすぎない。

既にして国際慣習法が説明できないなどの疑問があるわけだが、それは措くとして、次の疑問について見たい。すなわち、その第一次的な法規範はどのような次第で妥当するものとされているのか、というものだ。言い換えれば、「公務員S2は罰金バッキンガム課すべし」みたいな当為言明の「べき」性はどこから実効化されてるの? ということである。

これについてケルゼンの答えはこうだ。罰金バッキンガム法みたいな個別法の妥当性は、より上位の法、つまり憲法から降ってくる。

われわれとしてはまだ納得できない。じゃあ憲法の妥当性はどっから降ってくる? ここでケルゼンは例の有名な概念を召喚する。すなわち、根本規範というものがなんか知らんがあって、それが憲法を妥当させてる。らしい。……というか、現に妥当している法があるからには、それを妥当させているところの根本規範がなければならない、みたいな、カント的な思考順序なのか?

個人的にはかなり意味不明でついていけないんだが、まあ、事実と当為の峻別みたいな方向で頑張り尽くしたひとつの極限なのかな、とは思う。そんなケルゼンだった。あとハートとドゥオーキンを流し読み。

メタ倫理

Contemporary Metaethics: An Introduction

Contemporary Metaethics: An Introduction

認知主義の定義が便利。認知主義cognitivismというのは、(a)道徳判断は真理値を持つ、と主張する立場なのか、(b)道徳判断は道徳性質への認知的アクセスにもとづいてなされる、と主張する立場なのか、よくわからない点があるわけだ。Millerはその辺をうまく整理してくれる。すなわち、Millerによれば、(a)も(b)もどっちも主張してるのがstrong cognitivismで、(a)のみを要求するのがweak cognitivismだ、ということになる。なるほど。

その他

何日だったか忘れたが、大きな虹を見た。それはもう大きな虹で、私はしばしそれを楽しんだけれど、写真に撮ろうかと思った矢先、さっさと消えてしまった。時間にして10分くらいだった。

猫撫ディストーションのファンディスクのファンディスクみたいなのが出るみたい。エロゲからは降りているのでOPムービーだけ見て楽しむよ。なお元長はギャングスタの方のファンディスク? 続編? みたいなのに専念している模様。

レンタルマギカちょい復習してみたら案外楽しかった。次は風のスティグマあたり行きたい。