pathfinder

世界を暴く

まどかマギカ、魂に対する態度

叛逆の物語のネタバレ考察です。

(11月9日追記:二回目を見て、大いに考えを変えました。そのことをこっちで書いています→叛逆の物語二回目 - pathfinder。以下で書いてる話より真っ当だと思います。ただ俺には天国と地獄は時間の外にあるという固有の信仰があるので、それを護るためには以下のように考えるしかなかったのです。この記事はそういうものとして読んでください)

なんでさやか(と、なぎさ)だけが特別扱いされているのか

叛逆の物語における謎として、なんでさやか(と、なぎさ=ベベ)だけ特別扱いされてるかってものがある。特別扱いといっても出番上の優遇措置とかではなく、物語上他の魔法少女(マミ・杏子)とは異なる機能を帯びせられてるということだ。夢の世界の中で何が起こってるのか分からずにいるほむら・マミ・杏子・観客と異なり、さやかは叛逆の物語においてメッセンジャーの役割を果たすのである。彼女となぎさだけが世界の真実(改変前世界と、それに対しメタにある改変後世界と、改変後世界の中にさらにあるほむらの夢世界、という客観的構図)を知っていて、ほむらを導いたりキュゥべえとの対決の先頭に立ったりする。

この謎はトリヴィアルなものかもしれない。つまり、さやかがメッセンジャーなのに対し杏子がほむらと同じ境遇だということにはさしたる理由などなく、ただ杏子とほむらが一緒に歩いてた方がさやかよりサマになるだろという程度の話なのかもしれない。

そうかもしれないが、マミ・杏子とさやか・なぎさとの間には明白な区分線を引くことができはする。前二者は改変前世界(の最後のループ*1)において魔女化しなかったが、後二者は魔女化しているのだ。

そして、このことは「円環の理」の概念と、関係なくもなさそうである。叛逆の物語においてだいぶはっきり示唆されたことには、円環の理とは、魔法少女たちを魔女化の寸前に因果的に当該世界*2から切り離し、まどか時空(?)ないしまどか世界(?)的なところへ連れ去ってしまうような法則らしかったからだ*3。魔獣世界においては、本来ならば魔女になっていたであろう魔法少女の魂が円環の理(≒アルティメットまどか)という別次元の存在へ回収されて処理されており、それによって魔女なしで世界のバランスが保たれていたのだ。

だから、本編で魔女化していた二人だけが円環の理の代理人として行動するという展開には合理性がある。われわれは「魔女化するに至ったさやか」を知っているが「魔女化するに至ったマミさん・杏子」は知らないからだ。加えて言えば、今回のさやかは魔女化形態(オクタヴィア)をスタンドみたいに使って大活躍するのだが、われわれはマミさんや杏子の魔女化形態を知らないのである。それらを新たに設定しても観客は混乱するだけだ。だから、さやかとなぎさだけが改変前世界のことも知っていて(魔獣世界以前の魔女世界のことも記憶していて*4)、メッセンジャーとして立ち振る舞うのだ。

円環の理の救いのなさ

以上で、新編劇中、さやか・なぎさが杏子・マミと異なる役割を振られている説明はつけられた。だが仮に以上の説明が正しいとするなら、TV本編の結末の見方はガラッと変わらざるを得ないんじゃないか。

どういうことか。つまり、巷間言われているのとは異なって、まどかは魔法少女を救済していないことになる。より正確を期した言い方をすれば、まどかは魔法少女という概念は救済したが、個々の人間であるところの魔法少女たちの魂は救済していないということになる。

俺はまどマギ論壇的なものを知らないので変なことを言っているかもしれないが、従来想定されてきたまどマギのオチの中身というのは、大略次のようなものだったと思う:世界のルールは改訂され、魔法少女たちの魂は魔女になる代わりに消滅するようになる。これはいい。だがこのことは、世界間の移行という図式で表現されれば次のようになるとも想定されてきたんじゃないか。すなわち、改変前世界においては魔女となることを運命づけられていた魔法少女たちの魂は、まどかによって改変後世界に移され、そこで新たに「消滅ルール」の生を享け直した、というように。

今回明らかになった円環の理のルールによればその見方は成立しない。というのは、円環の理(≒アルティメットまどか)は、かつて魔女となることを運命づけられていた魔法少女の魂をその内に含んでいることが明らかになったからである。かつて魔女となることを運命づけられていた魔法少女たちの魂は、記憶を失って改変後世界で第二の生を享け直すというのではなしに、円環の理の一部で永劫の労苦を強いられていたのだ。

だが改変後世界にも(例えば)美樹さやかは存在するではないか。だとするとあれは誰なんだ? 答えは簡単で、よく似た他人だということになる。魔獣世界のさやかは魔女世界のさやかとは、たかだか心理的・身体的に区別ができないだけで、別の魂を持っているのだ。魔女世界のさやかは救済されていない。救済されたのは魔法少女という概念だけで、その恩恵に与っているのは「あの」美樹さやかとよく似たしかし他人なのだ。

本編12話の描写はこの見解に対する支えを与えてくれる。

まず、まどかの願いを確認しよう。それは、文字通り書けば、「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で」というものだ。魔法少女を救うとかは全然言ってない*5

次に、まどかによって具体的に「救済」される魔法少女を見てみると、草原に横たわる少女の場合、そのソウルジェムが魔法少女まどか*6に吸収されている。ここで魔法少女の本体がソウルジェムにあることを思い出すなら、まどかは草原の彼女の魂の在処を改変前世界からまどか(後の円環の理)の内へと移したのである。決して改変後世界へ送り届けたのではない。

そして最後に、これが決定的なのであるが、12話ではまどかによる世界改変がすべて描かれきった後になって、唐突にさやかとまどかとの会話が挿入される。これは明らかに変である。既にまどかは概念と化し、アルティメットになったのだから、さやかによっても忘れ去られたとしなければならない(現に、その直後描かれる改変世界のマミ・杏子にあっては、まどかのことをまったく憶えていない)。虚淵は説明手順を間違えたのではないかと疑いたくなる。だがこれは、改変前世界のさやかの魂が、円環の理に取り込まれる際のエピソードなのだとすれば矛盾なく説明できる。上条恭介に対する別れを告げる彼女さやかは、単に、改変後世界では身を引いて恭介を仁美に譲ろうなどと表明しているのではなくて、円環の理に取り込まれて彼に会うこと二度と叶わぬ自らの運命を受け入れると言っているのである。

さて、以上が、新編で開示された設定から反照的に解釈された、TV版まどかマギカの結末である。あれは実はわりと後味が悪い話だった……ということになったわけだ。

そして新たな問いが生まれるわけだ。あなたは、自分とは関係のない世界で、自分とよく似た他人が自分よりもマシな生を送ると聞いて、自らの絶望を撤回できますか? おかしいだろ。円環の理という煉獄の中で、俺なら自らの運命を永劫呪い続けますよ。因果の鎖はもはや俺を絡め取らないが、応報の鎖は変わらず俺を縛り付けているのだ。革命への要求はいまだ果たされていない。

無論、「俺」が諸世界を俯瞰的に捉え、神のような視点で事態を把握するならば、まどかの決定はなかなか望ましいねと言うことができる。だが、そのような一般的観点を取ることは、人間には不可能だろう。だとすれば人間は世界に対して、叛逆するしかないわけである。

一般的観点と個別的観点(というより、柄谷行人*7に言うならば、一般的観点と単独的観点)との相克という問題がいまや急速にせり上がってくる。叛逆の物語はこの問いに対する結論を次回作に放り投げるが、そのことをなじる前に、暁美ほむらにおいて受肉せられたこの問題の具体像を確認しておいても損はない。

暁美ほむらの特殊性

というわけでわれわれは暁美ほむらについての考察に進むわけであるが、今日のところは時間切れということでこの課題は次回に持ち越しとしたい。ヴァルヴレイヴもまだ見てねーし。

といってちょっとだけ書いておくと、ほむらが鍵なのはやはり間違いない。なぜかというに、彼女だけが唯一、改変前世界の記憶を保ったままで改変後世界に移動しているからである。同一の魂が両世界での生を送っているのだ。まどかによる因果律への叛逆が不十分だったという異議申し立てをなしうる魂は、改変後世界においてはほむら一人なのである。

その彼女はしかし今回、変にケチったことで運命(たぶん応報律)の前に敗北した。彼女は世界の法則をおおむね存置したままでまどかの魂だけを得ようとした。だがそれが間違いだったのだ。まどかの魂は他の魔女=魔法少女たちの魂と共に既に円環の理へと溶け込んでいるのだから、再び会うためには世界を革命するしかない。革命なくして得られるものは、まどかの魂の模造品だけである。

劇中、再改変世界の学校に転入してくるまどかのリボンは黄色い。おかしいではないか。まどかは黄色いリボンなど選ばない。この魂は、「あの」鹿目まどかとは、心理内実も身体的特徴もまったく同一であるけれども、しかし全然別物な偽のまどかだ。円環の理が身代りに差し出したよく出来たダミーだ*8。「あの」鹿目まどかを取り戻すために、ほむらはやはり世界の法則そのものに対して叛逆しなければならなかった。

最後に。われわれは暁美ほむらを殺人の容疑で告発すること(そして無罪放免すること)を以前に宣言した(叛逆の物語ファーストインプレッション - pathfinder)。これは正確には、魂に対する殺害について述べたのである。われわれの実況見分によれば、ほむらの世界再改変は円環の理の内に住まう魂たちを何らかの意味で消し去ってしまった。すなわち、魔女=魔法少女百江なぎさはどこかへ飛んで行き、代わって平凡な少女なぎさが現れた。また、魔女=魔法少女美樹さやかの魂は再改変世界において風前の灯であり、いずれ別なる存在に魂の座を譲り渡すことになるだろう。われわれはこれらを、魂の殺害ではないのかと疑っていたのである。

だがこれはちょっと勇み足だったかもと今は思っている。というのはほむらが行なったのは円環の理をもぎ取るという奪権行為であって、円環の理に対する加害ではないからである。たぶん、魔女=魔法少女百江なぎさや魔女=魔法少女美樹さやかの魂は、そしてわれわれの解釈が正しいならば魔女=魔法少女巴マミや魔女=魔法少女佐倉杏子の魂も、アルティメットまどかから奪われてほむらの掌中に収まったのである。ないしは、人間鹿目まどかの内に押し込められたアルティメットまどかのさらに内にあるのかもしれない。現れなくなったからといってその魂が殺されたということはならないわけだ。

なのでその辺は撤回しつつ、しかし大筋でそのままで、われわれは以前のマニフェストで示したような見方が、叛逆の物語という映画において実際に成立するのだということの根拠探しをこれからも進めていくわけである。来週二回目を見るから、また書くこともあるだろう。

当ブログはこれからも魔法少女まどかマギカと世界に対する叛逆を応援していきます。

付記

付記というか愚痴なんだが、改変前世界と改変後世界って言い方は直観的に分かりづらくて非常にだるい。この稿も、一階の世界と二階の世界という言い回しを使った方がよほどすっきりしたかなと後悔している(ので、そう読んだ方が分かりやすいという人は頭の中で適宜置換して読んでください)。ただしそうすると、「三階の世界」が何なのかが判然としないという問題が今度は生じるだろう。ナイトメア世界も悪魔世界も、どちらも図式的には三階の位置にある。やはり虚淵玄は意地悪だ。

また、この記事は適宜修正する。

*1:TV版11・12話の表現に厳密に即した言い方をすれば、マミ・杏子は(円環の理定立前の)「宇宙」における、最終版の「平行世界」において魔女になっていない、ということになる。虚淵は「宇宙」を、諸「世界」(ほむらのループの各々がこれに当たる)に対しメタなものとして捉えているようだ。まどかの行ないも、世界の法則の書き換えではなくて、宇宙の法則の書き換えだと言われている。これらの用語法は永井均などを連想させる。なお、このことは本論の正しさを何ら補強するものではないが、永井とは「魂」についてわけわかんねーこと書きまくったりもしている哲学者である。

*2:これも、TV版の用語法からすれば当該「宇宙」が適切だろう。しかしこのあたりの使い分けは今回かなりラフになってきていたような気もした。そのため直観的理解を優先してこの表現。

*3:この切り離し・連れ去りはその世界に内属する視点からしてみれば基本的に「消滅」でしかなかったのだが(世界の他の存在と因果的に何ら結びつくところのない存在というのは基本的に余分な想定なので、哲学的に健康ならハサミで切り落としてしまうものである)、しかし今回キュゥべえの超科学力によって、改変後世界の中からでも観測・操作が可能であるということになったらしい。これは次回作(あるとすれば)にかなり効いてくる設定だと俺は睨んでいる。

*4:ここで「改変前世界」・「魔獣世界以前の魔女世界」と書いたが、この「以前」は時間的先行を表すわけではない。より論理的階梯が低い、メタではないということである。

*5:その後に、そういった願いをかけるモチベーションとして「魔法少女たちの希望を無駄にしたくない」みたいなこと言うが、これもやはり、個々の魔法少女の魂の救済とは何ら関係がない。魔法少女一般、概念としての魔法少女というものについての救済が言われているだけだ。

*6:ピンクのフリフリのやつである。この段階ではまだアルティメットまどかになっていない。これは注意すべき点かもしれない。

*7:「単独性と個別性について」、『言葉と悲劇』所収。以前書いた一匹の羊と九十九匹の羊という聖書の譬え話も、数的差異の話ではなくてここに言われている単独性の話だと解していきたい。

*8:この論点には実は全然自信がない。普通に考えれば、あのシーンではほむらは「あの」まどかと再会し、まどかの「あの」意志の強さを再確認して慄然としているのである。この常識的な解釈を覆しうる材料があるかといえば、まだ発見していないというのが正直な答えだ。