pathfinder

世界を暴く

回復魔法について

回復魔法というのがある

回復魔法というのがある。小説とかゲームとかに出てきたりする。ゲーム的には使うと自分とか他人のHPが回復する魔法なわけだが、そのような数字表現であらわされてるのはたぶん、詠唱とともに切り傷とかがスーッと塞がるという事態だろう。小説でもそんな感じに描かれてることが多いと思う。

で、この「切り傷がスーッと塞がる」ってのが、よく考えるとかなり曲者だと思うのだ。

肉を造る

それは例えば体細胞をむにょむにょ造って傷口を埋めるってことなのかもしれない。でも、そうだとすると回復魔法使いってのは、傷口を塞ぐのみならず味方をマッチョにすることもできてしまうってことになる気がする。これはちょっとマズい。ヒールとBuffが同一の魔法で処理されてるような魔法世界というのは、かなり魅力的でない気がする。

たぶん「肉を造る」って方向がダメなのである。無から有を生み出すという発想では、エンチャントとかBuffに行ってしまうのであって、回復という概念には結びつかないのだ。そうではなくて、原状復帰という発想が回復概念には結びつかねばならない。回復魔法の使い手とは、傷口を傷つく前の状態に復帰させることができる者のことと考えよう。

対象を元に戻す

だが、原状復帰という要求を盛り込んだ魔法の仕様にしても、一種類だけということはないはずである。例えばタイムふろしき*1的な魔法だって、傷口を傷つく前の状態に戻すことが出来る。しかし、それを回復魔法と呼ぶのはやはりいかにもマズいのだ。なぜって、時間操作による原状復帰魔法がすなわち回復魔法だということにしてしまえば、その世界のヒーラーは、割れた食器とかの修復も同じその魔法でこなせてしまうように思われるからである。それは嫌でしょう。回復魔法は、少なくとも有機物にのみ適用できるものであってほしい。

さて、素朴タイムふろしき型の方向を退けるとすると、他にどんな原状復帰魔法が可能だろうか。ひとつには改良タイムふろしき型の道が考えられる。有機物と無機物とを差別扱いしてよい理由を世界設定の側にでも組み込んでやって、「これは有機物に対してしか使えないタイムふろしきなんだ」としてやればよいのだ。例えば、霊魂を持った存在者の組織にしか回復魔法は効かないという神の法なり世界の法則がある、などと設定してやればよい。世界がそういうものなのだから、タイムふろしきが有機物にしか使えなくても仕方がない(無論この設定を採用する者は、ご都合主義の誹りは甘んじて受けねばならない)。

対象が勝手に元に戻るのではつまらない

ようやくまともに使えそうな回復魔法のモデルが出てきた。改良タイムふろしき型の回復魔法は内的に破綻してはいなさそうだ。だがこれは致命的欠陥こそないにせよ、魔法世界の制作者にとってはそんなに歓迎できる代物でもないかもしれない。

というのは魔法の描写がかなりつまらなくなってしまうように思われるからだ。魔法とは、尋常ならざる仕方による世界の把握にして世界へのはたらきかけであり、したがって優れた魔法使いとは世界をヨリ深くヨリ正確に理解している人物であると俺には思われるのだが、タイムふろしき型の回復魔法はといえば、詠唱したら対象の方から勝手に治っていってしまうというものであって、術者の知性が介在する余地があまりない。それはいかにもつまらない。

これは時間遡行による原状復帰を術の対象物の側に委ねてしまってるところから来る問題であるように思われる。ふろしきをかぶせたら、かぶせられた物が勝手に時間を遡りだした、としてしまうから術者の知性が介在する余地がないのだ。そうではなくて、術者の知性が対象の性質を捉え、その把握が起点になって回復魔法が発動せられる、という風にはできないか。

対象を把捉して再構築する

要求されているのは術者の知性が介在するような回復魔法のモデルである。それはおそらく次のようなものになるんじゃないか。すなわち、術者が対象(傷口)を魔術的な目で眺め、該当部分の元の姿を魔術的に感受し、感受されたその魔術的似姿を頭の中でよく観じて、それを魔術的に再構成する。これでどうか。現にある傷ついた腕から設計図を逆算して、それを元に構築系の魔法を撃つとするのである。うまい設計図を引けるかどうか、また設計図を正しく実装できるかどうかで知性が絡むのである。

このような回復魔法のモデルは、文芸的ハッタリをかましやすい(同調・開始、とか、理解分解再構築とかは、このモデルの下位範疇に算入できるだろう*2)という長所を持つとは先に述べたが、それ以外に次のような利点も兼ね備えるだろうと思われる。それは、職業的達成の観念に親和的だということだ。

例えば調理人が居るとして、その中でもこいつは火加減が絶妙とか、あいつは下ごしらえが特にうまいとか、そういう評価を下すことができる。回復魔法についても同じようなことを言いたいし、言わねばならない。言いたいというのはそのようないわばスキルレベルの概念を認めれば「見習い魔術師」とか「大賢者」とかの区別がはっきり可能になるからだし、言わねばならないというのは、その程度に複雑な熟練を要求されるのでなければ、当該世界において魔法使いは高度技能職たり得ないからである*3。で、そういううまかったり下手だったりするものとしての回復魔法の巧拙の帰属先こそ、まさか筋肉というわけにもいかないので、魔術的なる知性ということにするわけである。

さて、先に退けた改良タイムふろしき型はいま述べたことからさらに打撃を受けた形になる。あいつはタイムふろしき被せるのがうまいとかはあんまり言わないからだ。反面、あいつは設計図引くのがうまいという謂いは普通に可能である。魔法使いの職業イメージを守れるという意味でも、タイムふろしき型より、術者の知性による再構成型の方に理論的強みがある。

超自然的存在への訴えかけ

だが、術者の知性による再構成という回復魔法のモデルは少々直観に反する点を持つ。このモデルは攻撃魔法の使い手についてはよく妥当するように思われるのだが、回復魔法の使い手については当てはまるかどうかが必ずしも定かではないのだ。というのは有り体に言って、白魔道士とか僧侶とか、あんま知性溌剌頭脳キレキレな感じしないからだ。

現実の回復魔法の使い手たちはむしろ、超自然的存在への情感豊かな訴えかけによって特徴付けられる。彼彼女らは考えるより先に祈るのである。神とか精霊とかとの交感の中から、職業特有の治癒能力を獲得しているように思われるのだ。この観察を盛り込んだ回復魔法のモデルを作る必要がある。

要するにこのようであればよい。とにかく何らかの手段により対象の傷を治癒しうる超自然的存在が存在し、ヒーラーはその存在に対するお願いが特権的にできる。そのお願いにもうまい下手があるのだとすれば、職業上の練達の観念も保存することが可能だろう。

問題はヒーラーたちに祈りかけられているところの超自然的存在である。そのような存在を認めることは控えめに言ってもわれわれの常識を完膚なきまでに破壊する。であるからには、「超自然的存在への訴えかけ」として回復魔法を説明する者は、われわれの常識がまるで通用しない世界において、なぜわれわれのそれとさして変わらない日常生活が可能となっているのかということを説明できなければならない。

境界的事例からの挑戦状

さて、ここまで、回復魔法の働き方についての見解をいくつか確認してきた。その際、見解の優劣評価の物差しとなってきたのは「その魔法見解はわれわれが常識として抱いている回復魔法実践の観念を過不足なく説明できるか」という尺度であった。

しかしながら、本論ではこの尺度を実際には「その魔法見解はわれわれが常識として抱いている『ヒーラーの実践についての観念』を過不足なく説明できるのか」として適用してきたきらいがある。両者の相違は重要である。というのは、サブスキルとして回復魔法を行使する非ヒーラー職が存在する魔法世界というものをわれわれは十分許容できるからだ。ヒーラーではなく回復魔法そのものの本性を解き明かすことを目指すのであれば、われわれは尺度の混同を避けるよう努力していかなければならない。

また、これは特に「超自然的存在への訴えかけ」として回復魔法を説明する見解にとっての課題となるが、モンクやパラディンといった神聖職が回復魔法実践に対してどのような関係を持つかということも重要である。この問題への取り組みは簡単ではない。まず、魔法世界においてモンク・パラディンは回復魔法を行使してよいのかしてはならないのか*4という社会構想上の対立を解く必要があるし、その後もモンク等が回復魔法を使えるとするのであればプリースト等のヒーラー職が彼らとどう異なるのかの説明を、またモンク等が回復魔法を使えないとするのであればなぜ使えないのかの説明を、延々続ける必要がある。

さらに、モンクやパラディン等が回復魔法を使えるという答えを魔法世界構想上の問いに対して与える場合、そのことは「術者の知性による再構成」によって回復魔法を説明する論者に対しても新たな課題を突きつけることになる。というのも、パラディンはともかくモンクの職業イメージは、明らかに魔術的知性の卓越という特徴づけに反しているからだ……。

このように、典型的事例にしか目を向けていない回復魔法見解は、しばしば広大な魔法世界の諸事物によって理論的痛打を食らわせされる。今後主張される魔法理論についての理論のすべては、本節で取り上げたような境界的事例に対しても目を向けるのでなければならない。

結び

回復魔法の観念は複雑怪奇である。とはいえわれわれは回復魔法についての比較的有望な二見解を手にすることまではできた。「術者の知性による再構成」モデルと、「超自然的存在への訴えかけ」モデルである。今後のメタ魔法学の進展は、これら二立場それぞれのさらなる彫琢によって達成されるとわれわれは主張する。

とはいえ、そのことは選択可能なメタ魔法学的主張が両立場間での二者択一であることを必ずしも意味しない。魔法世界の制作者は両方の設定を同時に採用することも可能である。事実、魔法ユートピアの構想者としての俺は二見解の両取りを主張する。以下、その個人的見解を開陳することでもって本論の結びに代えよう。

「術者の知性による再構成」モデルと「超自然的存在への訴えかけ」モデルは、魔法世界の世界史に次のような設定を書き込むことで両取り可能であり、両取りすることが望ましい。世界史の内容はこうだ:当該世界においては、かつて神々による超物理的法則が通用していた。この法則およびそれに関する技芸が魔法である。だが神々は去るか死に絶えるかして現在は存在しない。人の世において自然界を支配するのは物理法則である。だが世界の裏面には失われた神代知識を再建することで、人の身にして神に成り代わった者たちも存在するのだ。彼らの技芸こそは神々の行ないの知性による再現であり、魔術と呼ばれる。

というわけで、月姫はリメイクより2っしょ。

付記

念のため書いておくと、「あるべき回復魔法の姿」について書いたのではない。ありがちな設定がこうであるからには裏の事情はああであるはずだ、ということだけ書いたつもりである。

*1:被せた物を復元したり、逆に腐敗させたりできるドラえもんひみつ道具。被せられた物が時間を行ったり来たりするから「タイム」である。

*2:これらは回復魔法じゃないだろ、というツッコミは次節で検討する。

*3:別に魔法使いが誰にでもできる日雇いの仕事とかそういう世界もありだとは思うが、本稿の目的は常識的な魔法描写の理論化であるから、常識にのっとって、魔法使いの熟練を職人等のそれと類比的に考えておくわけである。

*4:俺の直観としては、特にパラディンなどは軽い回復魔法を行使できてもいいだろうというものがある。